物語を読みこむ力は世界を変える、という仮説
物語を読みこむ力は世界を変えるんだろう、とふと思った。
なぜかっていうと、この世界は結局のところ私の「解釈」によって成り立っているわけだ。
とすると「解釈」をする力があるかどうか。これはつまり、世界を色んな角度から見る力があるかどうか、ってことだ。
そして世界の見え方が変わるってことは、それは世界自体が変わるってことになる。
これまで気付けなかった様々なサインに気付くことが出来たら、素敵なんじゃないかな。
物語を読んでいると、当然の節理に沿って筋書きが進んでいくことは多い。
何も考えていないと、あるいはその物語に対して考える価値を見出していないと、「よくあるパターンの話」はほんとにそのまま「よくある話」で終わってしまう。
でもそんな作品だってもっと細かい眼で見ていくと、クライマックスに向けて伏線が有機的に絡みついている作品かもしれない。登場人物の台詞の一つ一つに、裏の意図があるのかもしれない。乱雑に配置されたかのように見える小道具に意味が込められているのかもしれない。もちろん、ほんとは何の意味もないのかもしれないけど。
重要なのは、解釈を「分かった」で留めないことだ。
「分かった」状態になってしまうと、それ以上考える必要がなくなる。つまりそれは思考停止だ。
もちろん、中身の無いものに対して思考を行っても時間の無駄って側面はあるのかもしれない。
でも、本当は何の意味も無いかもしれないものからも、価値のある物語を見出せたら最強じゃないですかい?
それはきっと、私はなぜ生きるのか、っていうところにまで答えを与えてくれるんじゃないかな。*1
*1:とはいえ、一通りの思い込みが済んだ後はまた再解釈をはじめないといけないんだけど